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89年1月7日、昭和天皇崩御。元号は昭和から平成へと変わった。その後6か月もたたず、誰もが知る大大物が逝った。 [昭和の歌謡曲]

89年1月7日、昭和天皇崩御。元号は昭和から平成へと変わった。その後6か月もたたず、誰もが知る大大物が逝った。

美空ひばりです。 本人が死間際にテレビプロデューサー石井ふく子に届けた手紙を買い入れ誕生日。 白い封筒。6月5日付代官山局の消印があった。石井は今、こう思い起こす。
「いつもは自分の名前を『和枝』(ひばりの本名)と書くのに『美空ひばり』とあった。そんなことは初めてでしたから、それでビックリしたんですね」 便箋(びんせん)2枚に目を落とす。

<私もかつては、牛若丸のように働きましたが……。(中略)こんな弱気な私になってしまったのは、五十二歳までには見られなかった。きっと、このぼろぼろにいたんだ自分に気づいていなかった自分を気付いたのかもしれません> 「『こんな弱気な私』『生きていけるよう念じ』……こんなこと書く人じゃなかったんですよ。そして『ありがとうございました』という過去形。

気掛かりな予感がしました」 ひばりとの出会いは、石井がプロデュースした64年放映のひばり主演のドラマ「下町の空」。それ以降も石井が手がけたドラマに何度も出演してくれた。

ある日、石井のマンションの呼び鈴が鳴る。インターホン越しに「和枝よ」との声が聞こえた。石井が笑いながら述懐する。 「私、『和枝』って誰だか全然わからなかったの。だから、『どちらさまですか?』って言ったら、今度は、『加藤よ』って」 加藤和枝という本名を名乗ったひばりは言った。

「お弁当作ってきたのよ。あなたは好き嫌いが多いから。そんなことではダメよ」 中にはカボチャの煮物。 「カボチャの嫌いな私に、どうしても食べさせたいと思って、と。ご自分で煮られたのでしょうか。おそるおそる箸をのばすと、それがかなり美味くて。からというもの、カボチャが大好きになってしまったんです」

彼女の訃報(ふほう)は、女優の岸本加世子からの電話で知った。自宅に急いで向かうと、ひばりの枕元には、萬屋錦之介が静かに座り、ひばりを見つめていた。 「『お化粧をしてあげてください』と言われて『私でいいんですか?』と言いましたが、お化粧をさせていただきました。錦之介さんが口紅を塗りました」 黙って座っていたら、ひばりの足元が動いた。

「びっくりして! 何だろうと思ったら、近藤真彦さんが足をさすってあげてたんです。ひばりさんに昔、『おばさん、歌うまいね』って言っちゃったんですって。それからずっと可愛がってもらっていたから駆けつけたと言ってました」

石井が手がけた舞台「花嫁」で、ひばりの曲「会う」を使用した。 「人との出会いを歌った、すごくいい歌なんです。私も、出会わせてもらった一人なんだ、そう思います」

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