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『詞と曲に隠された物語 昭和歌謡の謎』 松田聖子の“昭和”最大のヒット曲は…? 卒業ソング「贈る言葉」は失恋と夫婦喧嘩から生まれた!? [昭和の歌謡曲]

 平成ももう少しで終わろうとしているときに「昭和歌謡」の“ひびき”は、遠い昔のことのように感じる。
でも、その昭和歌謡と言われているいる音楽をを聞くとその新鮮さにビックリする。
それには、曲が昭和という時代に受け入れられることもあるが、そのこと以上に、いまでもさいろんな所で所で聞くことができるので古くなりようがないのである。
テレビ番組やカラオケさらに、音楽の教科書などにも、昭和歌謡は世間の日常にあふれているのだ。

 若いころ口すさんだ昭和の曲も、その時代の流れを知ればまた一歩違った楽しみがあるのではないか。
日本歌手協会常任理事を務める合田道人氏による『詞と曲に隠された物語 昭和歌謡の謎』(合田道人/祥伝社)は、昭和歌謡の関連エピソード集である。
みんなが知っている名曲の裏話は、音楽ファンの心に響くだろう。

 最初は海援隊の「贈る言葉」(1979)。
武田鉄矢(ボーカル)が主演したドラマ『3年B組金八先生』の主題歌で大ヒットし、今でも卒業式の定番ソングになっている曲である。

 意外なことに、作詞した武田には「卒業ソング」という目的はほとんどなかった。
歌詞のもとになった本当の話が2つある。
1つは武田が大学時代、恋焦がれた女のひとにストーカーまがいにしつこくつきまとってフラれた思い出、もう1つは武田と大喧嘩した妻のこと。
歌詞に出てくる「去りゆくあなた」は憧れのひとであり、「私ほどあなたの事を深く愛したヤツはいない」は武田が妻を言いきかせるために言った言葉だったのである。
卒業式の定番と言われた卒業ソングが失恋と夫婦喧嘩から生まれたとは誰も思わない。

 本のタイトルにある「昭和歌謡の謎」でいうなら、山口百恵「美・サイレント」(1979)は外せない。
「百恵さん」と作曲した宇崎竜童が生み出した名曲だ。かなり歌詞が謎めいていたので、この曲が話題になった。
当時の歌番組を見ると、歌が盛り上がる途中で、百恵さんがマイクから口を離してしまっているのが分かる。
口パクのような、肝心なところが聴き取れない。歌詞には「あなたの××××が欲しいのです 燃えてる○○○○が 好きだから……」とある。
今でも「××××」に該当する言葉さがしは続けられているが、本書ではなんと百恵本人が歌っていた「正解」が記されているのだ。

 そのほか、坂本九歌った「上を向いて歩こう」(1961)が海外では「SUKIYAKI」と名付けられヒットしたのはどうしてかの理由も、誰も本当のことは知らないのである。
驚くことに、ベルギーやオランダでのタイトルは「GEISYA BABY」。
当時の日本のイメージがそうだったのか、それにしても、歌詞とは全然違ったタイトルをなぜ外国人は気にしなかったのか? 
ことの始まりは、イギリスで最初にヒットしたときの「広まり方」にあったようだ…。

 何気なく聴いていた歌詞の意外な真実が分かるのも、この本の魅力的なところだ。
今はサッカーの人になってしまった小柳ルミ子の代表曲の「瀬戸の花嫁」(1972)に出てくる「あなたの島」はどこなのか? 
10代・20代の女子もカラオケで歌う石川さゆりの人気曲「天城越え」(1986)の情念深い女性は誰がモデルになっているのか?
昭和歌謡の明確な世界観が前提にあるのだと理解できるだろう。

 最後に、昭和を代表するアイドルの謎を本書から1つ。松田聖子の最高のヒットシングルといえばバブル時にリリースされた「あなたに逢いたくて~Missing You~」(1996)である。
では、昭和時代最高の売上を記録したシングルが分かる人はいるだろうか? 
ちなみに、「青い珊瑚礁」(1980)「赤いスイートピー」(1982)ではなく、「白いパラソル」(1981)や「渚のバルコニー」(1982)でもない。
答えは「ガラスの林檎」(1983)である。
もちろんいい曲に間違いないのだが、他の代表曲と比べとややインパクトに欠けるシングルがなぜビッグセールスを挙げたのか?
理由を知れば思わず「ああ!」と口に出してしまうだろう。

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